2007年09月05日

豊田茂世

 

先に書いた記事「わが街 再発見!」の情報収集に
あちこち行っています!

・・・

その中で、【豊田(旧姓:近藤)茂世】さんという女性を知りました。

明治2年、現在の下松市に生まれる(私が今住んでいるあたり)
明治25年より徳山女学校等で教職に就き、大正14年まで勤務し退職。
その間、明治34年に(茂世32歳)戸田村の士族で教職にあった
豊田虎之助のもとに後妻に入り2男2女をもうける。

その息子さんが後に、亡き母を偲んで出版した『豊田茂世・慰霊抄』の中に
与謝野鉄幹からの手紙・・・茂世に寄せる彼の恋情が載せられている。

茂世と鉄幹は、徳山の地で出会っている。
徳山女学校に勤務していた同僚という立場を超えての出会い。

コピーして頂いた資料には、
きりっとした口元の美しい茂世の写真があった。

・・・

ふと、太華山にある鉄幹の歌碑を思う。

   「彼のあたり 二十歳の前の我をしる 蛇島 仙島 黒髪の島 」

 

 



miyuki1116 at 18:53コメント(0)トラックバック(0) 

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コーチ深雪

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